フツーに暮らしてますけど

いくつになっても「箸がころんでもおかしい年頃」のままで生きています。


日常のちょっとしたお話です。

幸せを感じる為の協力

「明日、牡蠣食べに行く気ある?」


夜にパパさんが言い出しました。


私「明日の気分による」


娘「あまり食べたい気がしない」


と答えた私達。



実は、パパさんは友人達と鮎を食べに行く予定でしたが、予約がいっぱいで
やむおえなく諦めた後のことでした。


口の中はもう鮎になっていたのに、ムリとなったら、なにかで補いたい気持ちになったのでしょう。
そこで出てきたのが、大好きな牡蠣!


私&娘は鮎も牡蠣も興味ないので、腰が重くなるわけです。



パパさんがお風呂に入っている時に娘が


「ねえ?明日一緒に牡蠣行ってきたら?パパ行きたそうだよ~」


と。


パパの幸せを願う気持ちを表しながら、私を動かすというテクニックをいつの間にか身につけた娘。



結局、車で1時間半かけて行きましたよ!


私が好きでもない牡蠣食べに。
(昔、牡蠣づくしのコースを食べて吐きそうになって以来ムリです)



大きな牡蠣を焼いてご満悦なパパさん。


牡蠣ご飯や牡蠣フライ、牡蠣のおすましとどうにか鮎の無念さから脱却したようでした。


たまに、牡蠣の貝の破片がパチッとはじけて顔に飛んできたりしても
「あちっ!」って言いながら笑顔で食べてるのを見て、
人は好きなものを食べている時は、熱いよりも痛いよりも美味しいを優先することに気づきました。

ちなみに私は牡蠣フライとおすましだけはいけましたが、牡蠣は苦手なので、熱いのも痛いのもいやです。



お店のトイレの中にはこんなものが


トイレにある言葉にはピッタリですが、便秘気味な方が読んだらそうとう焦りを感じる言葉なのではないかと。


「出さざるもの、食うべからず」
って言われているような。


こういう言葉は個人個人の解釈の仕方でいろんな意味になるものですね。
次の日の言葉も見てみたい衝動にかられましたが、トイレの中に貼ってあるものだったので、なんとなく触る気にはなれずやめときました。
きっと、次のを見たら全部見たくなって、長い時間トイレにこもることになり、他のお客さんがふるいものを出せない状況になっていたと思います。


帰りは海を見ながらのドライブをして、
途中、二人が知り合った高校のそばのお店に入って、パイとラスクを購入。


3年生のパパさんと1年生の私が一緒に帰った道を通り、
懐かしく思い出してみたり。


まさか約40年後にこの場所を二人で訪れるなんて想像してませんでした。
未来は予想できないから面白い。


この先ケンカでもしたら、二人でここを訪れて出会った頃を思い出すのが一番かも。(ケンカするパワーはもうありませんが^^;)




お土産のパイを食べながら、


娘「どう?楽しかった?」


ケイ「うん!楽しかったよ!パパとママの高校のそばにいってきていろいろ思い出した」


娘「あらーーーそれはよかったね~」


と、その後も牡蠣の話は全く出ませんでした。(だって好きじゃないから)