フツーに暮らしてますけど

いくつになっても「箸がころんでもおかしい年頃」のままで生きています。


日常のちょっとしたお話です。

出航

久しぶりにブログを書こうとしたら
出だしの言葉が見つからず、途方に暮れた斉藤ですが
どうか今年もよろしくお願いいたしますm(__)m



昨年11月半ばより、毎週新幹線で片道3時間&地下鉄30分かけて
父の見舞いに行っていましたが、5回目の新幹線は喪服を持参となりました。


父は上手く話せない状態になってからも、「風邪をひかないように」とか
「疲れるから無理しないように」等、私をいたわる言葉をかけ続けていてくれました。


「葬儀場もそろそろ決めておきなさい」


その言葉が出た時に、姉も私も素直に返事をしました。


「お父さんそんなこと言わないでよ~」


と言うことが正しいとは思えなかったのです。


長い間、父は外国航路の操機長として勤務していました。
家族と離れている時間の方が長かったので、全て一人で身の回りのことをする父でした。
自分の洋服は自分でアイロンがけをするし、靴も自分で磨く人。
いつも冷静で怒らない人でした。


そんな父でしたので、あまり手をつながれた記憶もなく、横にくっついて座った記憶もなく、どこか他人行儀で過ごしたので、最後までの3週間の会える日は毎回ずっと手をつなぎました。
その時間が私にとって、とても穏やかな幸せな時間でした。


とにかく船を愛した父の希望で、戒名に船に関する文字を入れて欲しいとの希望があったので、ご住職にお願いして父の意識があるうちにつけてもらうことに。


父を安心させる為に姉と私でそれぞれに動きました。


数日後、ご住職から私に送られてきた戒名を見た瞬間、
自分でもびっくりしたのですが、私の目の前にきらきら輝く海が見えて、大きな船が出航していく光景が見えたのです。
浮かんだというよりとにかく強く感じたもので。


すぐにお礼の電話をし、姉に伝えると、姉はすぐに父に見せたようで
嬉しそうだったとまた報告がありました。


私達姉妹がやっている行動はもしかしたら非常識なこともあるかもしれないけれど、とにかく父も私達も悔いの残さないようにすることに専念しました。
他人が何と言おうがどう思われようが、父の望みを叶えて満足してもらうことが最優先でした。



父とお別れした後、姉に、私が戒名を見た瞬間に感じた光景を伝えたら、
姉が驚きながら教えてくれました。


姉が親戚に父が亡くなったことを報告したら、
1人暮らしをしていた土地から離れる時に父がその人に


「乗船する気分でいくよ」


と言っていたことを聞いたこと。


そして、ご住職に戒名のお礼の電話を入れた時に言われたことが


「お父さまの戒名をと思った瞬間に、大きな海に船出する光景が浮かんできまして」


らしいです。



『お父さんへ』
やっぱり船に乗っていったんですね。
退職してから乗れなかった船に、また乗船できる日がきたんですね。
最後まで気丈に振舞ったんだから、もうゆっくりしてね。
あなたが私のお父さんでよかったです!
ありがとうございました。


お父さん、行ってらっしゃい!


あなたの大好きな船に乗って、大きな海を渡っていってくださいね~♪


                     娘より