フツーに暮らしてますけど

いくつになっても「箸がころんでもおかしい年頃」のままで生きています。


日常のちょっとしたお話です。

はとバスツアー その1

父を無事に見送った後、
私達家族3人は船ではなく、はとバスに乗りました!


実は、姉の所で最期を迎えることを決心した父が、新幹線で姉と移動してきて、東京駅に着いてから一週間もしないうちに入院を余儀なくされた為、どこにも行けずじまいだったことが私も姉も唯一の心残りだったのです。


悔いは一切残すべきではないという姉妹なのに・・・・



というわけで、
ちょっとお父さんに船から降りてきてもらって
(前回の記事読んでない方は事情がわからないかも)、
お父さんを連れて一緒に観光しよう!と、他人が聞くと、
「なんだ?それ」と思われるような計画を企ててみました。


『お父さんと一緒に行くはとバスツアー』


参加者はうちのパパさんと私と娘とお父さんです。
仏教では亡くなった日から49日まではこの世を自由に移動できると考えられているようなので、まだお父さんも参加できるはずだと思いまして。


なんたって、私達、葬儀を行った翌日の夜の新幹線で戻らなければいけないため、
時間があまりないわけです。
調べてみたら、なんと!
その日一日限定のツアーが見つかり、時間もちょうどいい感じ♪
ツイてる♪
これもお父さんのおかげかな。


浅草とスカイツリーのツアーが見つかりました。
お台場も通るし、豊洲市場も見えますよ~
即決定で予約。


一応言っときますけど、さすがに私でも遺影を持ってはとバスに乗ることはしませんのでご安心ください。
大きな声で誰にも見えないお父さんに話しかけることもしませんのでそこもご安心を。
そんなことしたらバスガイドさんだって、
「はとバスに乗ることがお父さんの夢だったのね」
と大きな勘違いをして感動されるかもしれないので、それはしません。



私達家族3人、それぞれに目黒、下目黒、横浜に住んでいた時期があったのに、観光なんて興味なかったし、まあ今回はお父さんがメインですから、浅草は喜ぶかな?とか、病室から見えていたスカイツリーにも上ってみたいかな?って思いながら。


姉の家を出て東京駅に着いた私達家族は
はとバス乗り場に向かいました。


いくつか待合室みたいなのがあって、はとバスに乗って行く方達が何人もいらっしゃいました。
私達が入った待合室には2歳ぐらいの男の子と、お母さんとおばあちゃんらしき方の3人だけがいて、その男の子が話し出しました。


男の子「ねえ、乗るんだよね?」
おばあちゃん「そうだよ~今日はバスに乗りますよ~」


男の子「もうすぐ?」
おばあちゃん「うん。もうすぐだからね~」
微笑みながら返事をするおばあちゃん。


この辺からイスに座っている男の子の足のブラブラが激しくなってきてます。


男の子「はやくこないかな~。はとバス」
おばあちゃん「もう来ると思うよ~」


ここからいきなり歌い出した男の子


男の子「は~とバス♪ は~とバス♪」


おばあちゃんもお母さんも私達家族も微笑みました。
きっとはとバスが大好きでミニカーなんかも持ってるのかも。
そんな和やかな雰囲気でしたが、その男の子は歌い始めたと同時に
テンションがドンドン上がりだし、


「は~とバス♪ は~とバス♪ は~とバス♪
と、大きな声になりテンポも速くなりはじめ、しまいには


「は~とバス♪は~とバス♪は~とバス♪は~とバス♪」
と、これを続けたら危険かもというくらいスゴイ勢いになってしまいました。


「やめなさい・・・」


静かに放たれた真顔のおばあちゃんの一言。
けれど、男の子の自作の歌は止まりません。


「静かにしなさい」


おばあちゃんの言葉に私達家族もちょっとピリッと雰囲気になり思わず


私「はとバス好きなのね^^」
と笑ってみました。


それが聞こえたかどうかくらいの時に
男の子が乗るはとバスがやってきて、歌を歌い続けたまま彼は連れていかれました。


その様子を見ていた私達家族は、彼のはとバス愛の深さはそうとうなモノに違いないと話しながら、あの歌をバスの中で歌い続けないことを願いました。


続きは次回書きますm(__)m